おかわり日記

思ったことを垂れ流すトイレ

何とかなるが、その結果に満足できるのか?

どうも僕です。

 

今回はちょっと最近思った事を書きます。

まあ、タイトル通りです。

 

「人生、思ったよりも悪くならない。生きてれば何とかなる」

 

結構みんなこう口にします。

なるほど、確かにその通りです。

僕も前まで、そう思っていましたし、納得していました。

だけれど、今日、ふと考えてしまったのです。

 

「確かに、何とかなるけど、その何とかなった状態に、満足しながら生きられるかはまた別なのでは?」

 

行きたい進路には行けなかったが、別の進路で生きる。

その間も、行きたかった進路への思いをくすぶらせ続けるんじゃないか。

その間も、ずっと行けなかった悔しさを抱えるんじゃないか。

 

人間関係で失敗して、別の場所へ移り、生きる。

その間も、前の場所への郷愁がずっと残るんじゃないか。

元の場所にいたら、あんなことが出来たとか、私きりに浮かんじゃうんじゃないか。

 

そう、かんがえてしまったのです。

 

つまり何が言いたいかといいますと、確かに、悪いことがあっても、何とかなるかもしれません。けれど、その何とかなったは、言うなればマイナスの事象の結果なのだから、ずっとマイナスを引きずっちゃう人もいるんじゃないかということです。

 

僕はマイナスを引きずりまくる人だから、多分こうなります。というか、この考えに至ってしまったのも、今日思考がマイナスだったからですし。

 

ですが、この様な何とかなった現在の捉え方は決して褒められたものではないでしょう。僕の恩師は僕に対して、よく、「地に足を付けろ」とおっしゃっておいででした。それは、過去の事に引っ張られていないで、自分がいる、この何とかなった今を、過去の結果としてみるのではなく、ありのまま見ろ、という意味だったのかもしれません。

 

まだまだ、未熟ですが、この「今」をちゃんと捉えていきたいものです。

響裕太が何故好きなのか(グリッドマン ユニバース 感想1?)

面白かった!円谷プロ、Trigger、雨宮監督、ありがとう!

 

どうも僕です。

見てきました、グリッドマンユニバース(2回。三回目もいく)。

良かった。毎日uni-verseリピートする手がもう止まらないです。

ある一点だけ除いて満足でした。

その一点については次回の内容に関する感想で書くつもりです。

今日は、響裕太について述べていくつもりです。

ネタバレありなのでご注意を。

 

僕はSSSS.GRIDMAN、SSSS.DYNAZENONの二作品の中で、響裕太が一番好きです。その思いが今回の映画でより強くなりました。響裕太はヒーローなんですよ。それがかっこよくて、気持ちが良くて、本当に好き。僕は精神年齢が幼いからこそ、あの裕太の在り方に脳が焼かれてしまうんです。特に、好きなのが以下の点。

 

・自分にしかできないなら、たとえ危険な事でも自分から進んでいく点。

六花が好きだからこそ、彼女をそして世界を守ろうと突っ込んでいく。たとえ記憶がなくたって、関係ない。グリットマンの為に、自分が消えるかもしれなくても、走りだす。マジで、『疾りだせば、ヒーローになれるよ』という夢のヒーローの歌詞を思い出させてくれます。六花はそんな裕太を心配して、うろ覚えですけど、少しは悩めよ的なセリフを言ってましたが、裕太は、もう、内海、グリットマン、そして何より愛している六花の為に命はる覚悟が出来てるんですよね。だから、止まらない。この、友の為、愛する人の為に、自分を投げ出せる優しい人っていうのが、僕の大好きなヒーロー像なんです。だから、僕は彼に惹かれる。また、こんなヒーローみたいな裕太を彼氏設定にしてたアカネちゃん、なんやかんやで、ヒーローも好きだったのかなとか思ってしまいます。もしかして、助けを求めていたからこそ、自分を愛してくれる人を、ヒーローのように設計してしまったのかもしれません。

 

内海は、「心配なんてしてやらねぇ」って言ってましたけど、それは覚悟を決めた裕太に、今更心配なんていらないんですよね。この裕太のかっこよくて、ヒーロー的な性格を、特撮好きの内海は気に入って友達になったのかもしれません。というかマジで僕が内海でも友達に絶対なると思います。

 

そして何より、こんな優しいからこそ、六花は裕太に惚れたのかも。

 

どうかお幸せに。

 

 

ゆめにっき2

どうも僕です。

ロードローラーの本物を初めて見ましたが、あれってジョジョのマンガからイメージしたほどおっきくなかったんですね。

さて、本題に入ります。

最近は眠りが浅いのかよく夢を見ます。工事がうるさいせいかもしれませんが。

3月3日の夢は特に印象的だったので、ここに書いておきたいと思います。

 

内容

気づいたら、合唱コンとかやってそうなホールに自分がいた。友達の4人とバンドをしているらしい。それで、今日は大会なんだという。担当はギター。ほえーって感じでいたら色んなバンドの演奏がされていく。どれもすごいと感心していると気づく。大会ってことはあれと同じくらいの演奏しなくちゃいけない、けど、ギターの演奏の仕方なんて知らない。怖くて逃げた。舞台袖にいる他のバンドの人に代役頼めないか依頼に行った。出待ちしているファンと勘違いされてクッソ怒られた。結局友達にも見つかって、舞台に上がらされることに。スムーズにギターの音色が出ないんだから、ボーカルも他のパートもぐちゃぐちゃ。会場の方を向くと、音楽をなめんなといわんばかりの目つき。もういいと局の途中で幕が落ちた。そこからまた、ボーっとしてたら目が覚めた。

 

考察

最近の良くない口癖が影響したんだと思います。ここのところ毎日、「後藤(ひとり)にはギターがあるけど、僕は何にもない」って繰り返していました。現実でしょうもない事ばっかり言って言い訳しているから、夢の中で言い訳出来ない場に立たされたんでしょう。

 

 

夢にわからされるのもいいけれど、楽しい夢もたまには見たいもんです。

自律神経崩壊ちゃん 

どうも僕です。

 

今日、pixivを見ていたらたまたま目に入った漫画に興味がわいた。

それは、「自律神経崩壊ちゃん」という作品である。

「DiZ」という方が描いているオリジナル作品だ。この方が描いていらっしゃるアルル・ナジャのイラストが気に入った結果、発見した次第である。

自律神経失調症を患った女の子の日常を描いているものであるが、それがめちゃくちゃ共感できてしまったのだ。自分の傷を慰めるのにちょうどよかった。自分の嫌いな弱さは孤独なものであると思っていたが、同じような人がいたという事で少し安心感を覚えたのだ。

しかし、しかしだ。読み進めていくうちに、自分の中の不安も大きくなっていった。自律神経崩壊ちゃんの毎日は苦痛ばかりだ。一向に良くなっていくそぶりもない。その瞬間ふと、自分の中の悪いスイッチが入ってしまったのだ。

「自分もこのまま治らなかった、良くなっていかなかったらどうしよう」

そんな思いを抱いてしまったのだ。

僕は一生この苦痛と暮らし続けるのだろうか、その分人に迷惑をかけ続けるのだろうか。一度思い出したらもう止まらなかった。ああ、ああ、ああ。そんな言葉が頭の中をめぐるばかりだ。そして、途中で読むのをやめた。

 

 

藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん⒀ 感想

どうも僕です。

毎日声と物音で頭おかしくなりそうだから逃げる事にした。夢に藤子・F・不二雄先生が現れた事が発端だった。そうだ、F先生のマンガだ。小学生くらいまで、お小遣いを貯めては時々買っていた。ただ、あの頃は小遣いが少なくて、てんとう虫コミックスのものしか買えなかった。だが、今は違う。藤子・F・不二雄大全集が届いた。手に入れたのだ。初めはパーマンを買うか悩んだが、やはり付き合いが長いドラえもんの方を選んだ。それにしても何故今回13巻という中途半端な巻を買ったのか?それは、この巻に見たい話が収録されているのだ。それを含めて、自分の中でお気に入りの話の感想を述べていく。ネタバレになっている点もあるので、まだ買ってない人は買ってから見たほうがいいかも。

 

 

どんぶらガス

さいしょはドンブラコだと思った。ジャイアンが外で昼寝しようとする点は凄く羨ましそうだが、それで空き地を占拠する当たりなかなかである。のび太みたいに裏山に行けよとも思った。みんなでガスを使って楽しく土の中で遊べて良かった良かった。オチのジャイアンと4人の対比がほほえましくて好き。

 

ラジコンテレビ

今度はドンブラコが出てきた。スネ夫のび太が二人で楽しそうに遊んでるのは珍しい。ドラえもんによく出てくる、遠隔操作できる本物同然の模型の話とか大好きだから面白い。ラジコンを買ってもらえなかったから特に。こういう遊びをやりたいと思えるのがドラえもんって感じ。

 

アニメスプレー

描いた絵が紙の上を自由に動くようになるスプレー。紙をつなげればつなげるだけ広がる。こう、日常の何気ないもので凄い楽しい世界が出来るっていうのが良い。空想が広がる感じがして。小さい頃自分が描いた絵の世界が動いたら…そう思うとこの思いは共有できる…かなぁ。

 

実物ベニヤ

ベニヤで作ったものがその通りの働きをする。これも、自分で考えれば何でもできそうって所が好き。実際、作中では海を作ったり、船で遊んだり、いろいろしていた。僕ならバイクとか作ってみたい。機関車もいいかもしれない。みんなで作ったもので競争したりとか。

 

クロマキーでノビちゃんマン

現実に合成できるクロマキー。これは小さい頃、のぶ代版で見てお気に入りだった。これでのび太みたいにウルトラマンごっこしたいって思ってた。漫画で見てみると、戦闘シーンが一コマしかなかったが、結構迫力が出て驚いた。

 

お子様ハンググライダー

お子様サイズの小さいハンググライダー。これも小さい頃見て好きだった。タケコプターじゃなくて、ハンググライダーで滑空するっていうのがすごい魅力的なのだ。ギャグマンガとしてのオチものび太だもんなって感じがして好き。

 

ドラえもんに休日を

読みたかった話。のび太ドラえもんの友情、ジャイアンの男気がすべてこもってて大好き。普段ダメなのび太が、「ドラえもん」という「親友」の為にあそこまで覚悟を決める姿が大好き。最後のコマで、ほんとは色々あったけど「平和な一日だったよ」っていうコマののび太がかっこよく映る。また、のび太ジャイアンが助けてくれるのも、友情って感じで心がジーンとする。一応、ジャイアンは大長編じゃなくてもいいところがあるのだ。

 

45年後…

45年後ののび太が、過去ののび太と入れ替わって楽しむ。45年後ののび太が、いろいろ懐かしむ姿を見てると、のび太も大人になるんだなっていう事を実感して、ちょっと寂しさを覚える。だけれど、それと同時に、のび太もいろんな経験をして、しっかりと大人になったという事に嬉しく思う。最後の45年後ののび太の言葉が、希望をくれる。今はどん底で、毎日クソみたいな声とか聞こえるて、どうにもならないかもしれないと思って生きてるけど、少しだけ希望が湧いてくる。のび太と自分を重ねるのはおこがましいが。

 

 

 

全体を踏まえると、みんなで楽しい遊びができる道具が出る回か感動系が好きらしい。

貴方も、大全集を買ってお気に入りの話を見つけよう!

 

 


www.amazon.co.jp

光の国へ

ウルトラマンはどこから来たのか?

もちろん光の国である。

しかし、光の国とはなんなのか?

先に放送された『2人のウルトラマン』において、金城哲夫ニライカナイである...としていた。

ニライカナイ、つまりは理想郷である。

だが理想郷とは、裏を返せばあの世であると、私は考えている。

竹取物語においてかぐや姫が向かう先はものを思うこともない極楽であるという。だが、何も感じないとは死の世界と大差ない。

しかし、救われるには、楽になるには無による解放しかないのだろう。

生きているというのことは、辛いこと、苦しい事に苛まれ続け、それに闘い続けなければならない。それに疲れた人間が、最後に求める理想郷とは静かな無なのだ。

 

毎日、毎日、辛い時、僕の右手にはベーターカプセルが見える。それを天に向け高く突き上げ、スイッチを押す。僕は光に包まれてどこかへ、光の国へと消えていく。あぁ、そこはきっと楽園だ。

そう思い、目を開けた時にあるのは、結局変わらない毎日。どうやら、ウルトラマンはまだ、僕に生きていて欲しいようだ。まだ、頑張れるのかもしれない。それでも、それでも、僕がダメになってしまったらウルトラマンは助けに、迎えに来てくれるのだろう。そう思い、一息入れてまた日常を続ける。

ガメラ2 レギオン襲来 感想

どうも僕です。

先日、平成ガメラを見る機会があったので、怪獣映画をあまり見たことがない友人を誘って行ってきた。

しかしながら、三部作のうち第一作ガメラ 空中大決戦』だけは見逃してしまった。何たる不覚。

ですんで2と3の感想を二回に分けて述べていきたいと思う。今回は『ガメラ2 レギオン襲来』の感想記事。

 

・あらすじ

 前作から数年たったある日、北海道に隕石が墜落。この隕石の調査に大宮化学学校所属 の自衛官、渡良瀬二等陸佐が当たることになった。しかし、渡良瀬が隕石の墜落現場へと赴くと、なんとそこには隕石の姿が消えていたのである。加えて、現場を先に調べていた自衛官の報告によると、制動の後まで確認できたのだという。一体隕石はどこへ行ったのか頭を悩ます渡良瀬達。

 同時に、隕石が落ちて以来、北海道の通信が繋がらないという事件も起きており、この件を北海道青少年科学館学芸員、穂波碧は独自に調査しようとしていた。その途中で、彼女は偶然にも渡良瀬達と出会う。そして穂波は渡良瀬達から上記の事を聞くとこの様な仮説を述べた。それは『隕石自体が自分で動いたのではないか』というものであった。

 この仮説は的中していた。そう、隕石の正体は宇宙から来た怪獣だったのである。この怪獣、レギオンの生態は地球の生態系を破壊するものであった。故に自衛隊は人類の防衛の為、レギオンに戦いを挑むのであった。そして、地球の守護者たるガメラもまたレギオンの事を許しはしなかった。

 生き残るのは日本か、レギオンか。

 

・感想

 文句なしの傑作。内容としては上記の通り、人類と宇宙から来た怪獣の戦いを描いたものであり、戦争映画、パニック映画の雰囲気を醸し出していた。未知の怪獣に対し、一体どんな生態で、どんな弱点があるかを人類が力を合わせて考察するシーンはやはり謎解きのようで面白く、こちらも引き付けられてしまう。正しくこれこそが怪獣映画の醍醐味ではないだろうか。そしてこのレギオンの生態というのも、文系の僕が言うのだから説得力はないが、非常に練られており、作品のリアリティを高めている。

 また、勇気をもってレギオンと戦おうとする人々、自衛隊の描写も大変熱いものがある。我々には『ウルトラマン』のムラマツキャップでお馴染みの小林昭二扮する自衛官が登場するシーンがある。セリフは僅かでシーンも短いが、そこには戦いへ向かうものの覚悟が示されていた。また、レギオンとの最終決戦での指揮所の描写も大変臨場感あるものであった。一歩、また一歩と防衛線が突破されていくのは大変緊張し、正しく手に汗握る展開とはこのことである。

 そして、ガメラの存在がこの映画にさらなる味付けを施している。もし、ガメラが存在しなければ唯の人間対怪獣という構図のパニック映画で終わっていただろう。しかし、ガメラはあくまで「地球」の守護者なのだ。ガメラは「人類」よりも大きな枠組みにいるのである。その為、ガメラと人類が共闘することによって、この映画の構図は地球というコスモ(秩序)対宇宙というカオス(混沌)の構造へ変わったのである。我々はこのコスモの一部として、このコスモを守るためにガメラと共に戦っているという非常に心地よい一体感が得られるのだ。レギオンとの決戦後、我々は劇中の自衛官達と同様に、ガメラに対して一種の「戦友」へ向ける感情を持っている事だろう。そして、この様な経験をしたからこそ、ヒロインである穂波の最後のセリフ、「これ以上人間が自然を破壊したらガメラを敵に回すかも」というセリフが重きをなすのである。

 この様に怪獣映画は、やはり人間と怪獣の交渉過程がストーリーを味わい深いものにするのである。

 最後は怪獣のデザインと特撮についてである。ガメラは前作と比べより、凛々しく、かっこよくなっており中々良いものであった。このガメラの決戦現場に到着と同時にプラズマ火炎三連発は大変かっこよかった。そして、それを容易く防御してしまうレギオンというのも絶望感をより高めた。レギオンは正に平成特撮的な宇宙怪獣というデザインであり、正統派といっていいだろう。故にかっこいい。そして強敵らしい風格を備えていた。マジで宇宙に探せばいそうである。

 また、一番特撮面で私が惹かれたのはビルを割って草体が登場するシーンである。ウルトラQのマンモスフラワーを思い出したのである。(監督たちもそれを意識している事は重々承知である)

以上で述べた点以外にも様々な見どころがあり、決して退屈はしない作品である。めちゃんこ面白いのでぜひ見て欲しい。