おかわり日記

思ったことを垂れ流すトイレ

覚悟がないねって話

どうも僕です。

今回は最近感じたことをつらつらと書いていこうと思います。

 

現在、僕は今までに比べて、オタクではない一般の方と触れ合う機会がだいぶ増えています。その中で、彼らとのズレを時々感じてしまいます。これがとてつもなく僕の危機感をあおるのです。お前は社会に適応できてないぞ、やばいそ!みたいな感じです。しかしその一方で、一般社会と大きなズレを感じるほど、作品や創作に一生懸命なオタクを見ると羨望のまなざしで見ています。このダブルスタンダードっておかしくないか、自分でもそう思い何とか改善できないだろうかと頭をひねりました。一体なぜこの様な事が起こっているのだろうか?

それは「覚悟」がないからではないか。僕はそう考えました。

 

ガイナックス監査役を務めた野田昌宏氏の「コレクター無惨」というエッセイにおいて、自身を含めたSFマニアは狂っている者たちの集まりだというようなニュアンスの表現がありました。僕はここに、オタクとかマニアの本質があるのではないかと感じました。完全に私の主観ですが、彼らは自身らが一般社会との断絶を自覚しそれを受け入れてまで、自身の好きなものに集中するという「覚悟」を持っていたのです。そしてこの覚悟、熱意を持っているから、その界隈を牽引できたのでしょう。僕の周りのオタクたちもそうですね。飛行機や軍事、宇宙船等についてその筋の専門家並みに勉強している方や、周りから何と言われようが自身の好きなキャラクターへの愛を貫いている方がいます。

 

同時に、オタクやマニアを止めて社会に適応するのにも覚悟入ると思います。それは、自身の追い続けたものから手を引く覚悟です。社会に適応するにはそれくらい必要なんだと思います。普通という肩書を持っている元オタクやマニアの方々はその覚悟をもって、コンテンツから足を洗う過程を抜けたんでしょう、多分。(ソースもくそもない完全な主観である)

 

 この様な方々と比べると、私は浅瀬で水遊びしているにすぎません。普通でいたいという一般社会への憧れを持ちつつ、(私から見たら)社会と断絶しているオタク、マニアでいようとする。普通に考えて矛盾しています。苦しむのも当然ですね、この愚か者MEGA!!オタク社会にもいい顔をしようとしつつ、一般社会にもいい顔をしようとする八方美人です。オタクとして社会との断絶を受け入れる覚悟も、自身が好きなコンテンツから手を引くという覚悟もないのです。

 

 その結果何が生まれたのか。オタクとしては浅い知識しかなく、話題になったものをイナゴのように消費するくせに、何も生産しない、一般人としても話題を合わせられず、居場所を作れないという、オタクでも、一般人でもない何かですね。覚悟がないから、口だけでは創作したいとほざきながら作品を作れていないんですね。覚悟がないから、ボケーッと作品を見てるんですね。覚悟がないから、絵の練習に何時間も費やさないんですね。覚悟がないから、ブログを続けるといってもすぐに途絶えてしまうんですねぇ。

 

オタク・一般人もどきの僕は自身の根源的矛盾を何とかしない限り、一生苦しいままなんでしょう。メンヘラかな?

今のままではきっと何も生まないし、後悔もするでしょう。

ここで、覚悟のない日和見主義的八方美人から脱却せねばなるまいて!

…似たような決意表明しては三日坊主年ですけどね、毎回。