レヴュースタァライト 解釈
どうも僕です。
久しぶりにレヴュースタァライトのアニメを見ました。
正に頭を思いっきり殴られた感じでした。最近は「真矢クロサイコー」なんて壊れたレコーダーのように言ってましたが、なんとそれの浅いことか。
僕の好きだったレヴュースタァライトはキャラ消費で終わる作品ではない!
ストーリー、作画、そしてこちらに考えさせる要素がある素晴らしい作品なのだ!
真矢クロだとかはストーリーがあって初めて煌めくものなのだ!
脳死で真矢クロ言っている奴はレヴュースタァライトを理解してないのだ!
そう叩き込まれた感じがしました。
毎週このレヴューはどこへ行きつくのか?とかこの舞台少女達はどうなってしまうのだろうか?を考えるのが楽しかったんだよなぁ、だから見てたんだよなぁってのを思い出しました。
好きなアニメは何回も見るたびにその時の感情をよみがえらせてくれます。
というわけで今回はそんなレヴュースタァライトは何を描きたかったのかについて、私なりの解釈を述べていきたいと思います。
描きたかったのは舞台少女達の相互関係とそこから生まれる成長であったと僕は仮定しております。
では、その成長とはどのような形で表現されていたのか?
それは「余裕」もしくは「ゆとり」という形で表現されていたのではないかと僕は感じます。
例えば純那ちゃんなんかはわかりやすい例だと思います。一話や二話ではピリピリしてましたよね。それが華恋とのレヴューを経て気が楽になっているというか、落ち着きを得ています。
ばななも99回聖翔祭以降を何度も再演していましたよね。あれも未来にあるかもしれない悲劇を恐れる余裕のなさからきているように思いました。
まひるちゃんも華恋ちゃんを他のみんなとの生活の中で自身を失っていましたがあの状態もまさに余裕のなさのような感じがしたのです。
もちろん、我らが天堂真矢だっていつもは余裕こいてますが、一人でもスタァとのたまっている姿は2人でスタァになるという言葉を受け入れられないという心のゆとりのなさだと思います。
香子と華恋の場合はちょっと違います。二人の場合は余裕、ゆとりではなくそれが行き過ぎた油断の状態であったと思います。
朝起こしてもらえないと起きれない状態だったのが、ひかりちゃんの登場で引き締まり、余裕のある状態になった華恋。
双葉とのレヴューを通して、双葉の目標たらんと引き締まった香子。
そんな風に理解しております。
自分のことで手一杯、他のアイデア、考えを受け入れられない状態、それとだらけ切った状態。まさしく両極端ですね。この対極どちらかではなく、その真ん中を取れるようになる。それが成長である。そんな感じです。
ひかりちゃんが来たことで引き締まり、ゆとりのある状態になった事で成長していく華恋。そんな彼女と交流していき、それぞれがまた余裕を得て相互に影響を与えて成長していく。そいう風に現状は解釈いたしました。
もちろん、こんなものは私の頭の中で作られた妄想にすぎません。もしかしたら明日には変わっているかも。
それでも、とりあえずは自分が作品から感じた事を言語にできたのは少しうれしく感じます。
オタクの妄想にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。