真(チェンジ)鑑賞論
どうも僕です。
久々の更新です。文章書くのが遅々として進まずこのような事に...何回めだよ。
今回はチェンゲをオマージュした題をつけてみました。
さて、最近自分の物語の捉え方について再考する余地が出てきたので今回はそれについて述べていきたいと思います。
僕が作品を好きになる時は、大体その作品のキャラクターが好きになった場合です。
例えば、みなみけが好きなのは春香姉様が好きだからとか、レヴュースタァライトが好きなのは天堂真矢が好きだからとか。
世界観とかじゃなく、人物ありきなんですね。
更に詳しくいうと、人物じゃなくて設定だけしか見てないんじゃないでしょうか。
天堂真矢の首席って設定とか。
自分が欲しい設定を持ってるからそのキャラが好き。そんな感じです。一部だけを見て全体、本質を見ない。だからスタリラの食いしん坊な天堂真矢をうがった目で見てる気がします。本当に天堂真矢が好きならもうちょっと理解しようとする姿勢を見せろよ。
自分にこだわりすぎてはっきり言って気持ち悪いですね。
これは物語の世界を無理矢理自分の世界にねじ込んでるからだろう、そう思うんです。
だから自分の世界、価値観に合致しない作品はとことん嫌うし、観てもいないのに否定したりするんでしょう。
こんな物語の捉え方ははたして良いのでしょうか?それが最近感じた思いです。これ、実はその物語をちゃんと鑑賞出来てない気がするんです。他人からの受け入れですが、自身が物語の世界に埋没して初めて鑑賞出来ていると思うんです。だからこそ、もっと物語を楽しむには題名の通り、チェンジが必要でしょう。
自分の世界、自分を捨て物語に埋没する。これが今後の課題です。